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駿河台下の歴史
駿河台下に貝塚があった。
駿河台下は本郷台地が南に突き出した舌状の台地のはずれにあり8,000年頃前の海進期には、目の前がすぐ波打ち際でした。(明治大学西側に貝塚がありました。) |
太田道潅の頃から小川町という呼び方があったようです。
太田道潅の活躍した西暦1,500年頃、海は日比谷の辺りまでしりぞき、水道橋から大手町にかけては川の流路も定まらない湿地帯でした。 |
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駿河台への入口「小川口」は駿河台下のこと。小川口は今は富士見坂と呼ばれています。
徳川家康が1590年に関東に移封され江戸に入ってから駿河から連れてきた家臣団を住まわせたのが駿河台のはじまり。 |
松尾芭蕉も富士見坂を通った。
松尾芭蕉が29才の時に、初めて江戸に出て来た時に駿河台にいた縁者を頼って暫らく逗留したという話があります。 |
作家・永井龍男の生誕地。
富士見坂の一本北側を明治大学沿いに走る小径がありますが、このあたりで作家の永井龍男は生れました(1904年)。 |
千代田区の町名由来版ガイドを見てみましょう
江戸時代、小川町(おがわまち)は神田の西半分を占める広大な地域をさす俗称でした。 |