江戸時代、江戸総鎮守の神田祭と日枝神社の山王祭は華麗な山車が延々と36台以上も続いて江戸城に入り、徳川将軍の上覧にあずかり天下祭・御用祭とも呼ばれていました。また、神田祭は江戸三大祭(神田祭、山王祭、深川神幸祭)の筆頭として、さらに京の祇園祭・大阪の天神祭とともに日本三大祭にも数えられています。 祭礼は延宝年中まで毎年斎行されていましたが、1681年幕府の命により山王祭と隔年で斎行することとなり以後今日迄2年に一度、明治25年の神田祭からは5月に斎行されることが恒例となりました。