お祭り今昔

戦後しばらく子供達にとって、これと言った楽しみが無かった時代に神田祭は非常に待ち遠しいものでした。
本祭りは一年おきなので『今年は蔭なんだ』と言ってガッカリしたのを憶えています。本祭りの年には四月頃から町会の役員さんが寄付を集めて回り、町会の頭が神酒所を設営し、二年振りの本番に備えて神輿や山車の金属部分を三日位かけてピカールで磨き上げていました。人達は朝から神酒所に詰めて話し込んだり酒を飲んだりのどかな時代でした。

当初、町会には幼児から小学校低学年用の小さな可愛いお神輿と中神輿しかありませんませんでしたが、その代わりに立派な太鼓の山車がありました。

子供の数も多かったので引き綱にあふれるくらい集まり、それに付き添う親も加えると大変んな人数で、非常に活気に満ちていました。
幼い子供たちは男の子も化粧をしてもらい鼻筋にお白粉いを塗り、花笠をかぶり小若の半纏を着て参加しました。
太鼓もとりあいです。
打ち方は"ド~ンド~ンカッカッカ、ドンドンカッカ"でした。

昭和27年5月作成、中神輿と神輿保管箱に見る世話人・講和記念大祭の文字

当時の子供達も大きくなってくると中神輿では当然満足しません。そこで有志が集まり趣意書を作り町会の役員さんに相談し毎月の定額積み立てを二年間続け、昭和61年、二尺四寸の大神輿を購入しました。

最近、お祭りの神輿の担ぎ手が少なくなって苦慮している所もあるように聞きますが、当町会に関しては毎回大勢の人が集まってくれて、非常に楽しいお祭りが挙行されています。
独立したり結婚して親元から離れている人達、嫁いだ娘達、それぞれが友人や家族をつれてお祭りに帰ってきます。
町のあちこちで幼友達同士〇〇ちゃんと呼び合う声が聞こえます。
そして、町内で働く人達も多数参加して親睦の輪は大きく広がっていきます。

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